内省と誤用の関係は?
2020年4月20日
Q. 内省が働くのに、日本語の誤用が起こり、それがやがて定着してしまうのはなぜなのでしょうか。
A. 内省(言語感覚)は、すべて画一的に教授され身につけられるような性質のものではありません。国語教育は正しい言語感覚を育てることを一つの目標としていますが、限られた時間の中で日本語のあるべき姿をすべてくまなく教えるというのは、やはり理論上不可能です。最終的には、言語感覚には個人間で(読書経験などの質や量にもよって)大小さまざまな差が生じることになります。
日本語の誤用(たとえば「役不足」「敷居が高い」などを本来とは異なる意味で用いる例)は、従来正しいとされてきたものと同様の言語感覚が身に付いていないために起こる現象です。しかし、これが個人の問題にとどまらず、メディアなどで多用されることで多方面に伝播していった結果、新たな意味が市民権を得るということも、様々な場合に起こってきます。たとえば、古くは「つくえ」のような日常に深く関わる語においても、そうした変遷が認められる例は少なくありません。