どうして作例を用いた理論構築を目指す人がいるの?

Q. 生成文法の方法論を採る研究者に直感を頼りに言語理論を構築しようとする傾向が見られるとのことでしたが、そもそもどうして、このような作例による理論構築がなされ、許容されるようになったのでしょうか。専門外のため、まったくわかりませんが、一般的に考えても研究の科学的価値に問題があるような気がします。

A. コメントにもあるように、生成文法の領域においては作例(自分で考えた例文)に依拠した理論構築を志す人が少なからず存在します。これは生成文法の始祖であるノーム・チョムスキー以来の伝統とも言えますが、そもそも生成文法は人間の言語能力の根源にあるシステム(普遍文法)を解明することを目標としており、仮説上の文法理論に適合するような文を恣意的に作り出して説明に用いることが広く行われているようです(また、現に一母語話者がその言語能力を用いて産出した文である限りは理論の裏付けたりうるものと捉えられているようにも見受けられます)。このような立場は個人的に馴染みませんが、実例に基づいて地道な記述を行う立場とはそもそも目指す先が違うものであって、必ずしも安易に優劣を語れるものではありません。

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